みみずく先生の妖怪博士見習い日記 TOP  >  妖怪検定上級対策

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台東区かっぱ橋道具街の河童伝説に関する一考察――水利工事を手伝い福をもたらす河童の正体に迫る――

境港妖怪検定不合格答案集第5弾。

台東区かっぱ橋道具街の河童伝説を検証する論文である。隅田川の河童の正体が水死体であることは、荒俣宏先生が『日本妖怪巡礼団』の中で指摘されている。ただし、「えびす信仰」と勝手に結びつけたのは僕である。

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また、河童の水利工事に関する考察は、原田実先生の『もののけの正体―怪談はこうして生まれた―』から拝借した。

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詳しくは、上記の2冊に譲ることにしたい。

台東区かっぱ橋道具街の河童伝説に関する一考察――水利工事を手伝い福をもたらす河童の正体に迫る――



東京都台東区には、「かっぱ橋道具街」と呼ばれる問屋街がある。「かっぱ」の名前の由来には、「雨合羽」説と「河童」説がある。本論文では、後者を取り上げて河童の正体について考察する。

「河童」説の概要は、次の通りである。時は江戸時代の文化年間、現在のかっぱ橋周辺は、水はけが悪く、少しの雨ですぐ洪水になった。それを見かねた合羽屋喜八は私財を投げ出して掘割工事を始めたが、工事はなかなか捗らない。そこに隅田川の河童達が登場する。彼らは喜八の善行に感動し、夜な夜な手伝いに現れて、工事を無事に完成させた。このとき河童を目撃した者は不思議に商売が繁盛したともいい、この故事にちなんで「合羽橋」とした。喜八は没後、曹源寺に葬られ、「河童大明神」として現在も親しまれている。

江戸時代の隅田川には、水死体が頻繁に流れてきた。水死体の醜悪な姿が河童のイメージを形成したのだろう。ここで、全国の沿岸地方に伝わる「えびす信仰」を取り上げたい。えびす信仰とは、福をもたらす「えびす」として漂着物を祀る信仰である。えびすには、生物の遺骸や水死体も含まれる。この信仰の背景には、座礁した鯨が飢饉の村を救ったという伝承がある。漂着物は、人々に物質的な恩恵をもたらしたのだ。隅田川の水死体もえびす同様、価値あるものを運んできた。そのため、川辺に住む人々は、そうした漂着物を回収して莫大な利益を得ていた。彼らにとって、河童信仰はえびす信仰と同じだったと考えられる。ここに、福をもたらす河童が誕生したのだ。

しかし、「河童」説に登場する河童達は実際に工事を手伝っているため、水死体ではありえない。そこで、河童が水利工事を手伝うという各地の伝承を踏まえながら、更に河童の正体に迫りたい。江戸時代、水利工事には幕府の認可を必要とした。しかし、洪水などの危機に瀕した住民にとって、幕府の認可を待っている余裕はない。そのような状況で、河童がしばしば登場したと考えられる。住人は密かに工事を行い、「河童の仕業」としてお上に報告する。人間が勝手な工事を行った場合、その責任者は罰せられる。一方、河童の仕業ならば誰もとがめられないという理屈だ。お上も実情を理解した上で、住人達の言う河童を認めたのだろう。同様に、喜八を手伝った河童達も、正式な報告書には記載できない人々がその正体だったと考えられる。曹源寺には河童の手のミイラが奉納されているが、これは河童の存在をお上に示すための証拠物だったのかもしれない。

以上、「河童」説の河童の正体が明らかとなった。水死体から誕生した河童は、人々の方便にも利用されるようになった。「河童」説の河童達は生身の人間だったのだ。現在、彼らは肉体を失っている。しかし、その姿はマスコット化され、観光客の目を楽しませている。河童達の魂は、現在もかっぱ橋界隈に生きていて、地域振興に一役買っているのだ。
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[ 2014年08月19日 11:00 ] カテゴリ:妖怪検定上級対策 | TB(-) | CM(0)

旅の僧に問答を仕掛ける蟹坊主の正体に関する一考察――狂言『蟹山伏』と禅宗における公案が普及した背景を視野に入れて――

境港妖怪検定不合格答案集第4弾。

全国各地に伝わる蟹坊主伝説――そこには、旅の僧に問答を仕掛ける化け蟹の妖怪が描かれる。その問答に焦点を当てて蟹坊主の正体を明らかにしよう、という趣旨の論文である。
が、禅宗の公案が出てくるあたりから話の胡散臭さが増している(笑)こういう説を検証しようにも、裏を取る方法がないため、信憑性の担保は非常に難しい。

旅の僧に問答を仕掛ける蟹坊主の正体に関する一考察――狂言『蟹山伏』と禅宗における公案が普及した背景を視野に入れて――



蟹坊主伝説は、日本各地の寺院などに伝わっている。本論文では、この蟹坊主の正体について考察したい。

具体例として、山梨県の長源寺の伝説を取り上げる。昔、長源寺は、住職が次々と姿を消すという噂のため、無人の廃寺となっていた。ある日、法印という旅の僧が、噂を聞いてここに泊まった。その夜、雲水が法印の許を訪ねて問答を仕掛けた。雲水曰く、「両足八足、横行自在にして眼、天を差す時如何」これに対して、法印は「汝は蟹なり」と言って蟹坊主の正体を見破り退治する。その後、法印は救蟹法師と名を改めて寺の住職となった。同様の伝説は日本各地で見られる。

この伝説は、狂言『蟹山伏』がルーツとされる。『蟹山伏』のあらすじは、山伏が蟹の精に翻弄されるというものである。蟹の精が自らの正体に関して謎かけをする場面が、蟹坊主伝説に受け継がれている。そこで、蟹坊主伝説が全国的に受容された背景を分析したい。

第一に、蟹が妖怪となる経緯である。古来、蟹は霊性をもった生物と考えられてきた。水陸両棲、異形の姿、子を抱いて育てる習性、脱皮をして成長する等、蟹の生態が特異だからだ。たとえば、『日本霊異記』や『今昔物語集』には、「蟹の恩返し」が収録されている。これは、娘に助けられた蟹が、その娘を嫁にしようとする蛇を退治する話である。蟹は、人間を助ける神的な存在として描かれる。また、壇ノ浦の戦いに敗れた平氏の亡霊が乗り移った、というヘイケガニの伝説も有名だ。蟹は、霊魂の宿主とも考えられた。こうした蟹が零落した結果、退治される妖怪としての蟹が誕生したのだ。

第二に、蟹が旅の僧にしかける問答の意味を考察する。蟹坊主の問答から、禅宗における公案が想起される。公案は一般に「禅問答」とも呼ばれ、修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題である。その内容は難解で意味を取りにくい。修行者は、この公案を考え抜くことで、ある瞬間に悟るのだ。長源寺の伝説では、蟹坊主の死体から千手観音の姿が現れたとも伝えられる。これは、法印が問答を通して悟りに至った、と解釈できないだろうか。

もっとも公案を重視するのは、禅宗の中でも臨済宗である。鎌倉時代以降、武士と庶民の間に禅宗が広がる中、臨済宗は室町幕府の保護を受けて勢力を強めた。また、室町時代の臨済宗の僧・一休のトンチ話は、説話として人々に語り継がれていたという。こうした背景の下、臨済宗の公案の概念は、臨済宗以外の宗派にも少なからぬ影響を与えたと考えられる。そのため、蟹坊主伝説が臨済宗以外の寺院でも語られるようになったのだろう。

以上より、蟹坊主の正体が明らかとなった。蟹坊主は、古来より崇拝されてきた霊性の持ち主が零落した姿である。そして、臨済宗の影響を背景に『蟹山伏』の要素も取り入れられて、問答をしかける妖怪へと変化したのだ。
[ 2014年08月13日 10:30 ] カテゴリ:妖怪検定上級対策 | TB(-) | CM(0)

白蔵主から考察する仏教と稲荷信仰との関係性――狂言「釣狐」や澤蔵司稲荷の縁起を踏まえて――

境港妖怪検定不合格答案集第3弾。

「白蔵主(澤蔵司)」の話から宗教間の力関係を検討しようという論文だが、先行研究を十分に吟味していないため、論理の根拠が薄弱である。仏教と稲荷信仰との関係については、十分に研究がなされているはずだ。それらを踏まえて、いつか再検討してみたいテーマだ。

白蔵主から考察する仏教と稲荷信仰との関係性――狂言「釣狐」や澤蔵司稲荷の縁起を踏まえて――



白蔵主は、僧の姿に変じた狐である。この妖怪にはいくつかの類話がある。それらを比較・検討しながら、白蔵主の正体に迫りたい。

白蔵主の話は、天保年間に刊行された『絵本百物語』に収録されている。白蔵主は僧で、狐狩りを生業とする猟師の伯父である。猟師を恨んでいた白狐は白蔵主を食い殺し、自ら白蔵主に成りすまして猟師に狐狩りをやめさせた。以来、狐は五十年以上住職を務め上げるが、最終的には正体を見抜いた犬に噛み殺されてしまう。

白蔵主は、狂言「釣狐」にも登場する。猟師の伯父・白蔵主に化けた狐が、罠を捨てるよう猟師を説得するが、帰りに餌の誘惑に負けて本性を現す。罠にかかった狐は、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げていく。こちらの白蔵主は滑稽な姿で描かれる。ただ、着目すべきは、白蔵主が猟師を説得する場面である。白蔵主は、猟師を怯えさせるために、狐が本来神であることを述べるのだ。

「釣狐」の白蔵主の言葉通り、狐は稲荷神の使者として古より崇められてきた。稲荷神は秦氏の氏神だが、秦氏が渡来する以前から農耕民に信仰されていたと考えられる。稲荷神は、空海を通して東寺と関係を構築する。東寺は、農業神として幅広い信仰層を有する稲荷神と結ぶことで、民衆へ接近を図ろうとしたのかもしれない。一方、稲荷神は東寺と結託した後も、強い独立性を維持し民衆の間に浸透していく。ここに、稲荷神と仏教との微妙な関係が生じる。

稲荷神と仏教との関係を検討する上で興味深い話がある。澤(伯)蔵司の話である。東京都文京区の浄土宗慈眼院の境内には澤蔵司稲荷がある。この稲荷の縁起は、次の通りである。元和年間、当時浄土宗の学寮があった慈眼院に、澤蔵司と名乗る僧が入門した。彼は優秀だったので三年余りで浄土宗の奥義を習得した。その後、彼は和尚達の夢枕に立って言う。「自分の正体は稲荷大明神だ。大望を達したので元の神に帰り、以後、当山を守護して恩に報いよう」と。澤蔵司は稲荷神であるにも拘らず浄土宗の修業を行い、浄土宗を守護する存在になったのだ。これは別の見方をすれば、浄土宗が稲荷神を配下に置いたと言えないだろうか。

江戸時代は、キリスト教弾圧のため、幕府が寺請制度等の宗教統制を推し進めた時代である。これは、実質的に仏教を国教化する動きであった。このような動きの中、民衆に浸透しつつも仏教とは距離を置く稲荷神は、幕府や仏教の側からすれば快いものではなかったはずだ。そうした権力者側の事情があったからこそ、稲荷神を仏教の下位に位置づける話が実しやかに語られるようになったと考えられる。

仏教の守護者として語られていた稲荷神は、『絵本百物語』や「釣狐」等の娯楽で更に滑稽に描かれる。稲荷神(狐)は僧に化けて仏教の世界に紛れ込むが、その正体を暴かれ逃走し、時に殺されてしまう。白蔵主は、仏教優遇の政治体制下で、稲荷神が貶められた姿だったのだ。
[ 2014年08月12日 11:00 ] カテゴリ:妖怪検定上級対策 | TB(-) | CM(0)
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都内で家庭教師業を営むみみずく先生です。日ごろ、生徒さんや保護者様とお話ししながら、密かに妖怪文化の普及に努めています(笑)

現在、家庭教師業の傍ら、在宅ライターとしてのお仕事もしています。数社から継続して依頼を受けています。ライターとしての更なるスキル向上を目指し、不定期でこちらのブログも更新しています。

妖怪関係の記事や趣味の記事がメインですが、好きな人やお店等も紹介していくつもりです。エログロ・オカルト・アングラ・サブカル等、ちょっと過激な記事も紛れると思いますが、苦手な方はそういう記事を読み飛ばしてください。

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